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A社との交渉 其の1


 4月に入ると、林のプロジェクトが佳境に迎え、5月の役員プレゼンテーションを向けて最後の仕上げ段階に入った。現地の調査や地元の役人との交渉などを重ねって合弁の相手を3社に絞った。

第一候補は浙江省張家港A社。A社は元々米国の大手薬品会社と張家港市との合弁会社として1995年に設立され、2000年に米国の資本が撤退した後、その大手製薬会社のOMEメーカーとして薬品生産を続け、現在、自社のブランドの立ち上げに意欲的に投資している。製品の種類はS社の製品とかなり近く、生産技術水準も特に問題ない。総経理、王克剛は40才前後の若手社長で日本に留学した経験があり、頭の回転が早く国際感覚のある経営者だった。さらに、地元の会社なので、役人との交渉も非常にスムーズだった。ただし、薬品を販売する実績がなく、中国市場を開拓したいS社にとってはかなり痛い所だ。

 第二候補は上海市近郊B社。B社はS社の飲料事業の合弁相手で、今まで飲料事業で大きな信頼関係を築いてきた。しかし、飲料メーカーである故に、薬品生産の経験がなかった。初期投資が膨らむだけではなく、薬品生産免許を申請するのにかなりの時間と労力が予測される。A社と同じく、販売のチャンネルは全くない。

 第三候補は江蘇省無錫市C社。C社は中国大手医薬品の子会社で、親会社の中国全土の販売拠点はS社にとっては非常に魅力的な合弁相手だ。しかし、元々国有企業なので、生産管理と品質管理に問題があり、地元の役人との交渉も困難と予想される。

 役員の中にB社を推薦するものがいるが、佐々木常務、佐野中国総括部長と伊藤課長はA社を合弁相手として考えていた。林も全く同じ考えだった。4月中に、最終的な交渉を行い、5月に役員プレゼンテーションし、役員会の同意を得た後、正式にA社と合弁契約交渉を進めるスケジュールだ。

 4月上旬と言えば花見の季節だが、連日の残業で土日はできるだけ身体を休ませないといけなかったから、夏美が内心行きたかったけど、林に花見する余裕はなかった。5月のプレゼンが終わったら有休をとって出かけよう、夏休みは海外でも行こう、と林は夏美に約束した。頑張っている林を邪魔するわけには行かないから、林のために食事を作ったり、家の片付けをしたりして、林を見守っていた。正直、夏美の料理がお世辞でも美味しいとはいえないが、自分の仕事を理解してくれる夏美には心から感謝していた。

 4月上旬の日曜日、林と佐野中国総括部長と伊藤営業4課課長、それに同僚鈴木と通訳の中国人李星秦、5人で第一候補の張家港市のA社に最終交渉に行った。

 佐野中国総括部長はずっと柔道をやっていて、体格ががっちりしたスポーツ系の人間だった。上下関係に厳しく、頭の回転が速いとはいえないが、義理人情で動く人だった。佐々木常務の忠実な部下で、佐々木が常務になったおかげで佐野が新設の中国総括部の部長のポストを手に入れた。伊藤課長は林の直接の上司で、頭がよく優しい人だった。しかし、おとなしい性格で、上司のプレッシャーによわく一見イェスマンに見えるが、内心でしっかりした考え方の持ち主だ。中国出張で、何度も中国人と柔軟に交渉した林を見て、林に対して高く評価していた。どこの派閥に所属したのではないが、佐々木常務の派閥に近い人間と見なされていた。鈴木は林より先に入社したが、林より年下だ。理想主義のタイプで林に対してライバル意志がある。英語はそれなりにできるが、中国語ができない。現在、中国語を猛勉強中だ。李星秦は元々生産技術部に所属していたが、今年の4月に新しく営業4課に配属された通訳だ。佐々木常務の口利きでS社に入社できたという噂があるが、佐野の要望で営業4課に配属された。北京外大日本語学科の出身で日本語能力は堪能だが、林は配属したばかりの李をあまり知らなかった。

 中国式の自己紹介した後、副市長が乾杯の音頭をとり、宴会が正式に始まった。佐野部長は張家港市に来たのが今回2回目で、まだ中国式の豪華な宴会に多少ビックリしたが、他の4人はもうすでに慣れきっていた。

王の通訳を通して、佐野部長と中国側の人が日中関係やら今後の仕事の発展やらお互いにべた褒めしていたが、林は伊藤課長と鈴木と翌日交渉項目を話し合っていた。

 翌日の仕事があるので、この日の宴会は2時間で終わった。佐野部長と王が中国側の人にお酒を勧められ、かなりの酒を飲んで顔が真っ赤になったが、林と伊藤と鈴木はほとんど酒を飲んでなかった。

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